昭和50年09月16日 朝の御理解
御理解 第68節
「神参りをするに雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ。その辛抱こそ身に徳を受ける修行じゃ。如何に有難そうに心経や大祓を上げても心に真がなければ神に嘘を云うも同然じゃ。拍手も無理に大きな音をさせるには及ばぬ。小さい音でも神には聞こえる。拝むにも大声をしたり節を付けたりせんでも、人にものを云う通りに拝め。」
信心をさせて貰うのに大事な心掛けで御座います。第一神参りをするに雨が降るから、風が吹くから、今日は雨の降りよるから今日は御無礼しようと言うた様な事ではいけない。その辛抱こそ身に徳を受ける修行と仰る。この辛抱こそ身に徳を受ける修行と。ここんところは信心の眼目であるお徳を受ける、云うならそれが修行なんです。昨日は寝とらんからと、昨日はこうだったからとまあいろいろと理屈にはあります。
理由はありますですけれども、それを辛抱し抜くと言う事がお徳を受けると仰っとられるのですから。朝参りをします日参を続けます。どんな事があっても月に一回はお参りしますと、と云った様なね、心に決めると云うことはもう既に神様にお約束したのと同じ事です。それをね、実行し抜くと言う事が私は素晴らしいと思います。信心にはこれが大事だと言われるのです。
昨日は富久信会でしたが、神戸の加西さんが、もう大変難儀な様々な悪条件のもとに、やっぱり月に一回ですけども、必ず参って見えます。神戸からですからね。時々には電話で、どうにも出来ない、だから他の日に参ってはどうでしょうかと言うて、云われる時もありますけれども、どうでもこうでもと言うて神様にお願いなさいと言うて電話で言うのです。例えば旅費がないと言った様な時がある。お繰合わせ願いなさい。片道でも良いからそれが良いですと。
もう理由を言えば実はこうですからとそれに妥協したり、そこに口実を付けたり、月に一回の月参り、そこに私は疑う訳にはいかない神様の働きを間違いなく頂き続け、頂き止めて行く事が出来る。その疑おうにも疑えない神様を頂くと言う事が先ずは、御神徳を頂く事です。神様を信ぜずして神様から信じられる筈は絶対にありません。先ずは私共が神様がこの様にも間違いないと体験を積んで、そこから神様に信じられる氏子、言うならこの氏子はここだけは間違いないと云われる。
それが神様から信じられる。神様から信じられると言う事が御神徳だと教えられるのですから、そこのところを大事にしなければいけません。そりゃもう本当にどうにも出来ない時があります。けどそういう時程、だから大事にせねばいけんのです。これはもう神参りをするのに雨が降るから、風が吹くからと自然のそうした事だけじゃありません。云うならば、人生の雨風の上に於いても、そこをやり抜かせて頂くと言う事が身に徳を受ける修行だと頂かなければいけません。
昨日、秋の総会が平原公園で持たれました。本当に昨日の皆様御承知の様に四時の御祈念頃には大変雨が降ってましたけれども、今日はそれはお天気はどうだろうかと思うとりましたら、雨が段々止んであげな良いお天気を頂きました。まああちらに行って皆揃いまして、あちらの大きなキャンプ場、青少年育成何とか会館、道場の様な所が出来ておって大きなお家です。そこが昨日お休みだったんですけども、管理人の方が特別に明けて下さって、貸して貰ってあすこに一同が勢揃いをして愈々御祈念。
愈々総会が始まって丁度合楽から行った者でいっぱいと云う感じだったですね。実はあそこは板張りですから、だからここにはこんな立派なござが用意してあっただろうかと思うたら、丁度昨日その事の為に用意してあったかの様な立派な広いござをね、あそこに全部敷き詰められる程のござを用意してあった。まあどういう中にもです、私は神様の働きの中に、昨日の総会が一日持たれたと云う事を思わずにはおられません。あちらは山の中ではありますけど、あれだけの人数の天幕を張って。
そして日蔭にと言う所のない、五人十人集まって樹の日蔭にと言う所はありますけど、あれだけの人間が集まってしかも日陰と云うものは、やっぱりあれだけの会場を貸して頂いとった所が有難いと思うとったんですけれども、あそこで総会色々な行事が御座いました。随分長い総会でした。行事でした。それが皆さんそれぞれの部門に立っとられる。例えば、総務部、経理部、推進部と言ったような部長さん達が、今皆若い。若いと言うても三十五、六位から四十迄の方達ばっかりで御座います。
言うならば総代さん、又は菊栄会、松栄会と言うのが、言わば松栄会の年輩の方達ばっかりですね。本当に何か知らん心強い感じが致しました。それにお話なんか皆さんが説明又は、所信をそれぞれ述べられましたが、本当に堂々たるお話ばっかりでした。特に信心の所信を述べられる時なんかは、どうぞその調子で頑張って下さいとこう思わず、こう思う様なお話ばっかりでした。
だが殆どの方がその事を言うておられるのを聞いてから、まあこれが信心の大事な所だなと思うた事」は、去年私は此処に立ってお話をさせて頂く時には、今年こそこうこうこう言う信心をさせて貰いたいと思いましたけれども、それが出来ていないと言う事を皆さん言われました。成程出来ていないと思うんです。なら合楽示現活動に参画すると言った様な、素晴らしいスローガンの下に、お互いが信心を進めて行こうと言う、そのスローガンに向かっての果して信心が進められておるかと言うと。
本当に残念ながら出来ていなかったと云う発表をなさいましたが、これは正しく神に嘘を云うも同然だと言う事になるのではないでしょうか。今年こそはとかこの次の総会の時にはもちっとましな発表が出来る様にとか、それを皆さんの前でまあ云うなら堂々とお話をしておきながら実際は一年経ってみて、それが出来ていない、それが実行出来ていなかった事を何年も又、それに取り組ませて頂く、まあ繰り返し繰り返し失敗しながらでもそれに取り組んで行く事は、上げたもの素晴らしい事ですけれども。
それがその、そういう事がね、私は神に嘘を云うも同然だと思うです。だから神に嘘を云うも同然だと、又はおかげは皆さんがそれこそ、神様を身近に感ぜずにはおられないと、昨日富久信会で直方の行本さんが発表しておられましたが、直方からああして日参を始められる様になりましてから、もう半年にもなられるでしょうか。何故そうしてお参りしなければならんかと言うと、もうとにかく神様を疑おうにも疑う余地がなくなったからだと発表しておられます。
そういう私は信心を頂いてこそ、初めて出来そうにもない事が実は出来て來るのだと、云うなら如何に雨が降ろうが風が吹こうがえらいと思う段じゃない、そういう時こそむしろ楽しいものすらが生まれて來るような、信心が出来るのです。言うならば、人生の雨風と云った場合であってもそうです。昨日からお互いが進んで行くことの上でね、傷害がある。その傷害を乗り越えてと、そこには一段の言うならば元気な心が必要になって來るのです。その皆、五人か六人が発表されました中に。
本当に去年からの色々どうでもこうありたいと思い乍ら、神様にお願いし乍ら、それが出来なかったと言う事はです、必ずそこには雨があり、風があり言うならば傷害があってそしてそこを乗り切れなかったと言うここに他ならないのです。ですからそれを乗り切れるだけの信心が必要だと言う事になりますね。今日は私は六十八節と言うのは、もう色々説明を加えなくってもこの通りです。
言うなら額面通いに頂いて、充分おかげの頂ける御理解です。けれどもね、そこん所を、言うならば強調致しませんとお互いの心に凍みて参りません。えらいと思うてはならん。どんな難儀の事があってもえらいと思うてはならん。そこを乗り越えるのだと。乗り越える為には矢張り元気な心がいるのです。しかもそれが徳を、それが身に徳を受ける修行じゃと仰るのですから、おかげは受けられますけども、そういう私は一つの根性とでも申しましょうかね。
そういうものが出来て、それが初めて身に徳を受ける修行じゃとおっしゃるのですから、そこんところを強調して、同時に此処は意味が違いますけどね、ここでは心経や大祓を上げても、心に真がなければ神に嘘を言うも同然じゃと。これは例えばそらぞらしい御祈念をする人があります。ポンポンと拍手を打っといてから、もう神様に御祈念をしながら、後から誰かどうか云うと、それに対して他の人に返事しながら神様拝みよる人がある。そういう人があるのです。
これは或意味では神様に嘘を言う様な御祈念をしている様なものです。けれども心に真がなければ神様に嘘を云うも同然じゃ。先程からも申します様に、心に真があって神様にこれこれの事だけは実行します、やり抜かせて頂きますと、云うならば神様にお誓いさせて頂いたならばです、それをほごにせず、左右にせずにそれを実行し抜くと云う事が、神様に真実を捧げた事になるのです。
神に嘘を言うて、神様の御信用が頂ける筈はありません。だから、今日は特に神に嘘を云うも同然じゃと言う様な信心をお互いしてはいないだろうかと言う事です。だから神様のおかげもまた、神様が嘘仰ったと行ったような結果にもなり兼ねないし、またそれでは神様の云うなら御信用はつかない。身に徳を受ける修行にはならない。今日はその辛抱こそ身に徳を受ける修行と言う事と、神に嘘を言うも同然じゃと言う事をです、昨日一日の富久信会とか総会に感じさせて頂いたことを、聞いて頂きました。
そして私達がね、神に嘘を云うも同然じゃと言う様な信心をしてはいないか。であるならば、私はそこを改めて一つ本気でです、そりゃやろうと思うておったら、こう言う事情でやれません、こう言う事情でお参りが出来ませんと、例えば障害が出来て來るんです、矢張り。けどその障害を乗り越える事が身に徳を受ける修行じゃと、言うならばそこを矢張り、泣く泣くでも辛抱をし抜かなければ身に徳を受ける事が出来ない事が分かります。 どうぞ。